7年間暮らし、名作を生みだした場所
石村亭はもともと商家の隠居所として1911年(明治44年)頃に建てられたもので、築100年を越えます。敷地内には谷崎が寝食をしていた母屋のほかに、仕事場としていた離れ(書斎)、洋館、茶室があります。母屋は木造瓦葺の平屋建てで、書院造りの主室、数寄屋造りの控えの間など10部屋があります。主室は庭に面して廻り廊下、刎高欄(はねこうらん)があり、外にガラス戸が入っています。南側はわざと日の光を避け、棚を池の方にさしかけてあって、谷崎自慢の野木瓜(むべ)の葉が茂っており、今でも毎年4月下旬には可憐な花を咲かせます。また、回遊式の日本庭園には滝があり、添水を通って軽やかな音を響かせながら池へと流れています。
谷崎は1949年(昭和24年)4月からおよそ7年間、この地を本拠にして「潤一郎新訳源氏物語」を完成させ、ほかにも「少将滋幹(しげもと)の母」「鍵」などの名作を残しました。小説「夢の浮橋」では、この石村亭が「五位庵」として登場し、庭や部屋の佇まいが生き生きと表現されています。4枚の挿絵に描かれた当時の石村亭の風景は、今も変わらず目にすることができます。